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比嘉理麻(2015) 「変わりゆく感覚」

比嘉理麻

2015 「変わりゆく感覚――沖縄における養豚の専業化と豚肉市場での売買を通じて」『文化人類学』79(4): 357-377

 

概要

 沖縄の食肉市場における感覚を用いた商品選択について、売り手-買い手の振る舞いを通して記述する。その際、感覚の人類学の抽象性を批判しつつ、特ににおいに関して具体的な民族誌的事例を提供することを目的とする。加えて、同一社会集団内の感覚の多様性と変化について、世代に着目しつつ論じる。

 

コメント

 感覚の人類学を積極的に展開しようとしているしている点は高く評価できる。また、先行する感覚の人類学が、実際にはさして事例を提供しておらず、また感覚を静態的に捉えているという批判については深く同意する。老人は嗅覚で、若者は視覚で肉を判断するといった指摘も興味深い。しかしながら、本稿が先行研究批判へのアンサーになっているかと言うと、いささか疑問は残る。例えば匂いについて、けっきょく「くさい/くさくない」といった言葉でしか表現できず、その言葉もローカルには分節化されていないとなると、読む側としては著者や現地の人たちの実感としてある感覚を理解することは難しいように思う。それを補完するのが振る舞いだというのだが、その部分の記述はあまり説得的になされていないようである。また民族誌的描写も少し冗長のような気がする。とはいえ本稿が博論の一部分だということを考えると、上記の不足は感じつつも挑戦的な面に対する評価が上回る。

 

目次

Ⅰ 問題の所在

 1 感覚の人類学

 2 市場研究

Ⅱ ブタの自家生産・自家消費から専業化への移行

Ⅲ 売り手による感覚価値の付与

 1 A 市場の概要

 2 大腸に対する嗜好性の高さ

 3 内臓加工の感覚的側面

IV 買い手の世代差にみる感覚使用の相違

 1 世代差による自家屠殺の経験の有無

 2 若年の買い手に対する視覚の教育

 3 高齢の買い手がもつにおいの記憶と連想

V  考察

 

 

ざっくりレジュメ(勉強になった先行研究批判のパートのみ)

感覚の人類学に対する三つの批判(358-9):ストーラーらの感覚の人類学は、①実際に感覚を記述した事例は薄く、特ににおいについては断片的。②感覚を静態的かつ社会内で均質なものとして捉えている。③感覚の歴史的な変化について無自覚。

 

市場の人類学についての批判(359-360):ギアツ(1979)「市場では情報の不均衡ゆえに継続的な顧客関係を形成する」 ←田村(2009)「トルコでは、情報の不均衡はむしろ多様な選択肢を確保する流動的な方向にむかう」 ←著者「これらは言語を中心化していて身体的やり取りを見逃している。身体を見たべスターや小松も感覚は見落としている」