【論文】鈴木涼太郎(2013) 「文化論的転回と日本における観光人類学」
鈴木涼太郎
2013 「文化論的転回と日本における観光人類学 ――観光/文化/人類学のはざまからの視点」『観光学評論』1(2): 159-172
目次
Ⅰ はじめに
Ⅱ 文化論的転回と観光人類学
1. 日本における観光研究と観光人類学
2. 観光人類学の理論的背景
3. 観光研究による参照
Ⅲ 文化論的転回が不可視化したもの
1. 観光人類学の消費
2. 不可視化された論点
Ⅳ 文化論的転回後の論点
1. 観光産業、ホスピタリティ、ツーリスト
2. 実践との新たなつながり
Ⅴ おわりに
レジュメ
Ⅰ はじめに
☆問い:観光人類学が観光という研究対象にいかに貢献しうるか
〇二つの視点:①文化論的転回という問題関心
※日本における観光人類学の開始とほぼ同時期に登場
②観光への人類学的アプローチが観光研究にいかなる意義を持ち得るのか
⇒人類学の成果が観光の理解にどのように貢献し、意義を持つのか
Ⅱ 文化論的転回と観光人類学
- 日本における観光研究と観光人類学
〇日本における観光研究
1960年代:関連学会の設立
1990年代:大学に観光関連学部が多数設置
2000年代以降:日本において観光研究が本格化
〇日本における観光人類学
1980年代:研究対象として追加
1990年代半ば以降:観光人類学という言葉が人口に膾炙
2000年前後:観光の入門書的な書籍で観光人類学を扱う
→観光研究と観光人類学は同時期に展開。観光人類学はマネジメントではなく文化社会全体を対象化
- 観光人類学の理論的背景
〇3つの理論的背景
①「未開」や「文化」概念の再検討
→観光なき純粋な文化などない
②文化本質主義批判
→むしろ観光が文化を生み出す
③文化と権力
→オリエンタリズムと観光の相似関係
⇒観光は「人類学の危機」を論じるのに適当な事例
- 観光研究による参照
〇70年代~80年代の「オーセンティシティの喪失」に関わる議論 →実務では参照しにくい
↑↓
〇文化論的転回以降の「文化の再構築」の議論 →「観光町づくり」などと親和的
⇒文化論的転回と関連した観光人類学は、観光研究に対して一定の意義
Ⅲ 文化論的転回が不可視化したもの
- 観光人類学の消費
〇人類学では、観光はあくまでも手段・事例。目的は人類学の危機をめぐる議論
e.g. 太田-山下論争(1998)
⇒人類学内部では、方法論的・自己批判的議論に終始
- 不可視化された論点
〇観光人類学では、観光という対象それ自体の含意が脱落
→観光人類学が観光研究においてどのような意義を持つのか?
Ⅳ 文化論的転回後の論点
- 観光産業、ホスピタリティ、ツーリスト
〇不可視化された論点=観光研究における観光人類学の可能性とは
※特にフィールドワークという手法をめぐって
・エコツーリズムなど小規模で代替的な観光のホリスティックな分析
・観光の場における具体的な経済活動、特にホスピタリティ ←マクロな抽象化ではなく
・ツーリスト-ゲストの側についての研究
- 実践との新たなつながり
〇これまでの日本の観光人類学では、観光開発は批判の対象。直接的関与はほぼなし
↑↓
〇観光開発に関与することへの二つの意義
①「適合の土台」(ジャファリ)の研究として観光人類学を位置づけられる
②地域振興と関わって発展してきた日本の観光研究、および大学の社会貢献の要請といった昨今の状況において、自らの研究を位置づけられる
⇒観光人類学を観光研究の文脈に位置付けるなら、こうした視点は重要
Ⅴ おわりに
重要なのは、観光を対象とした個別領域の議論から、観光研究が何を得ることができるか、どのように観光研究の中に位置付けてゆくのか。
感想
文化論的転回と著者が呼ぶものを経た観光人類学が、実践寄りの観光学との親和性を獲得したという指摘は面白い。本論文は、あくまでも観光研究者が観光人類学をどう利用するのか、観光研究に寄せてきたい人類学者にどうアドバイスするのかという視点のものなので、それを理解せず人類学者として読むと、別に観光研究に貢献なんてしなくていいみたいな無用な反発を感じるかも。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tourismstudies/1/2/1_159/_article/-char/ja/